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	<title>ひできすの別冊アイルランド真実紀行</title>
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	<description>Ｇｒｅｅｔｉｎｇｓ　ｆｒｏｍ　Ｉｒｅｌａｎｄ</description>
	<lastBuildDate>Fri, 01 Jan 2010 01:35:11 +0000</lastBuildDate>
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		<title>ゆく年来る年　2009/2010</title>
		<description>やーどうも。大晦日の今日、仕事終わってみると外は一面の銀世界。

隣に居た香港出身の女の子は

「きゃー、雪見るのはじめてー。きれいーっ」

と、大騒ぎ。かたやひできすは

「うぎゃー、どうやって帰ろう」

降るなら休みの日にしてくれ、というのが素直な感想。

チェーンなんてはめる習慣のないアイルランド。んなもんだぁれもつけちゃあいませんよ。白銀の駐車場を出ようとハンドルを切ると普段の１０倍くらいハンドルがかるい。そりゃ車が滑ってるんだよ、ひできすさん。

さて雪が降ればまず優先的に整備されそうなのは高速道路ですが、このいい加減王国をなめてはいけません。職場からすぐのインターチェンジをＭ５０という高速道路に入ったはいいが数時間前に降り始めた雪がまだべったりへばりついている。時速６０キロ以上出したらこわいっ。日本はもう来年だが、アイルランドはまだ２時間ほど今年がのこってる。２００９年の締めくくりに事故なんてしゃれになりませんからねえ。やっとのことでうちに帰ったときは、感謝の気持ちがあふれたのでした。

ところで大晦日の本日はブルームーンの月食だそうで、「そうか、仕事終わったら写真とってホームページにのせよう」と、ネタのない別館管理人はもくろんでいたのですが、大雪というネタにすり替わるとは到底予想できませんでしたよ。ブルームーンって何ぞやって人、実は管理人も知らんのです。調査してないのでてきとーにググッてみてくだされ。まあ８％欠けの月なのでたいしたことありませんが、http://astronomy2009.ie/ で写真見れます。大晦日の月食は３００年ぶりという、どーでもいい統計もあったりします（笑）。

実は明日も仕事なのですが、新米の僕が文句も言えるはずもなく、
「ええい、２０１０年の中国の正月はバレンタインデーとおなじ２月１４日だ」
とかわけのわからない納得の仕方をしています。今夜アイルランドの一部では氷点下１０度まで下がるところもあるらしく、明日の道路状況が心配なところです。

さて、ひできすの生活はほぼミレニアムを境に日本からヨーロッパへと移ったわけですが、そーですか、もう１０年たってしまいましたか（しょぼーん）。
なんかこう「しょぼーん」という気分になりませんか、大晦日って？アイルランドに限らず特に欧米ではこの日は街へ繰り出して、夜中まで飲んで大騒ぎする風潮があるのは、この「しょぼーん」を紛らすためなのではないのかと勘ぐってしまいます。

いやいやいや、ひできすさん、みんながみんな「しょぼーん」と感じているわけじゃないですよ。大晦日には家族でコタツに入って「今年もいろいろあったなあ」とか「みんなありがとね」とか団欒して、いい感じですよ。ひできすさん、あんたは独り者だからそんなこと思うんです。

ぐはぁ、それを言いますか、それを？

しかしね、１月になると「新年の目標」とかいって、マラソンしたり、喫煙や禁酒、もしくは「５キロ痩せるぞ」とか「廊下を走らない」などの標語を家の壁にぺたぺた貼るといった人たちが沸いてくるのは、昨年やろうとおもってできなかったことを反省し、どう過ごそうが容赦なく経過してゆく時間というものに恐れを感じたからですよ、この時期に。

２００９年を振り返り、１０大ニュースなんてのがこの時期はやりますが、ひできすにとってはどっちかってぇと１０年の節目って方がぴんとくるので、ここでこの１０年を振り返ってみたいと思います。日記に書きたくないことは含めないで一部リストにしてみると以下のような感じかな。リンクがついているものはこのホームページに記事があるものです。

２００１年、９・１１アメリカ同時多発テロ発生
２００５年、インド滞在および、ひできすの別冊アイルランド真実紀行創刊
２００６年、ひできす大学の夜間部に通う 大事と言えば大事な転換点になった
２００５年、ひできす飛行機を操縦する
２００８年、ウガンダで友人死亡 悲しすぎる友人の死
２００６年、ＰＰＭコンサートに行く 最近亡くなったメアリーさんに黙祷
２００６年、勤めていた航空会社が大量リストラ てか、全員クビっ
２００３年、念願のハイランドへ家族旅行 ハリーポッターがどうしたって？

などなど。…うーん、いろいろあるなあ。

２００６年、旅行・観光系から、教育関連への超びっくり転職　←これから記事が増えるでしょう。

２００２年、ひできすヨーロッパ大洪水の中心地プラハでてんやわんや

なんてのもあるぞ。

「ひできす飛行機を操縦」の記事がないのには驚いた。これについては、近いうちになんか書きましょうかね。あとここの記事になっていないものでどでかいニュースと言えばやはり９・１１ですね。

ご存知のとおりそれは９月１１日のアイルランド時間ではお昼に起こった事件でした。事件についての悲惨なニュースはそれこそ皆さんの知るところ。

ひできすに関しては、何はともあれその渦中のユナイテッド航空に当時勤めていたということ。今だから書きますが、事件当時は突然会社のビル全体で一時外出禁止になり、しばらくは２４時間体制のシフトに変更され、差し入れのピザを豚のように食わされて缶詰になった思い出があります。会社の中でも間違った情報が入り乱れ、大変なことになっていました。当時国際料金課に勤務していたひできすも、急遽お客様対応の電話にまわされ、キュー（電話がつながるのを待っている人の数）は史上ありえない３桁を記録したもんです。つかれきった社員達のために、会社はプロのカウンセラーを配備したけど、知ってる限り誰も話をしにいかなかったという笑い話もあります。当日休暇中でアメリカに居た同僚もたくさんおり、ダブリンに帰ってこれなくなった同僚達の武勇伝は数知れず。

ところで日本からの訪問客なんてめったにないひできすですが、こともあろうに９月１１日に、旧友がアイルランドに僕を訪ねてきたってのも、今考えればすごい偶然ですねえ。深夜まで帰れない僕のためにいろいろ頼まれてくれた某友人に感謝しています。あ、それでも会社とやりあって、なんとか休みとってアイルランドを少しだけど案内しましたよ。せっかくきてくれたんですもんね。

跡形もなくなったワールドトレードセンターを訪れたのはそれからわずか数週間後のホリデーで、日本帰省の途中でした。しっちゃかめっちゃかだった事件当時でしたが、その後現場を訪れることで航空会社職員という立場を超えた見地で実感したのは事実です。この話は一晩話しても足りないのですが、まあ僕の中では１０年ニュースの筆頭にあがるのでちょっとだけ書いてみました。
あれれ、書いているうちになんかこの話題以前どこかで書いたような気がしてきました。もしかしたら、本館のほうにゲストで出演したかもしれません。

ともあれ、つらつらと書いているうちに、いまさっきアイルランドも新年を迎えました。日本には９時間の遅れを取って向かえた２０１０年。こちらの除夜の鐘も、こころなしか９時間遅れ気味のテンポで（いあ、鐘なりませんからｗ）、外の広場では酔っ払って大騒ぎしてるのがいます。まあ、毎年の同じ風景なのですが、ちと違うのは外が真っ白の雪景色であること。ダブリンもこんなに雪が積もるのは珍しいので、みんな浮かれてますね。
え？ひできすもまざらないのかって？
いやですよ、寒い。こたつがあれば猫と一緒に丸くなっているところです。猫はあまり好きでないひできす、アイルランドにコタツがなくて本当によかった。

そろそろ寝ます。皆様、よいお年をお迎えくださいまし。
２０１０年も、よろしくお願いします。 </description>
		<link>http://hidekis.byteact.com/2010/01/01/307</link>
			</item>
	<item>
		<title>ひできすはいずこに？</title>
		<description>って、アイルランドっすよ、普通に ＾＾；

しばらくお休みしててすみませんでした。例年の傾向だといまごろ日本に帰省しているころなのですが、今年はできませんでした。

何故ってそれは実は、こんなことがあったんですよ。
ひできす、転職しました。
アイルランドはヨーロッパの不況のなかでも最悪の部類。このご時勢にまさか合格するとは正直思っていなかった。

３年強つとめた会社が僕にとってひとつの区切りを迎えていたころ、目に入った求人案内にほとんど遊び半分で応募したら、２次面接すっとばして合格。聞くところによると、アイルランドでの（無駄に）職務経験が長いのはかなりプラスなのだそうです。

はたして１１月に予定していたホリデーはキャンセル。キャンセル可能な航空券を買っておいて本当によかった（爆）。

さて、このホームページのポリシーとしては、現在進行形の会社については詳しく書かないというのがあります。だからどんな仕事してたかについてはあまりふれてこなかったと思いますので、すこしここで話してみよう。

いままでいたのはダブリンの語学学校。ここでの僕のメインの仕事は、ウェブサイトの作成･管理と、学生のカウンセリング。

ウェブサイトにかんしては、かなりがんばった。検索サイトでの順位が目に見えて上がるまで半年。会社にコンピュータがわかる人が皆無で、何人かから仕事中「ひできすは暇そうだ」というコメントも。失礼な。ひとがプログラムのバグ探しやらなんやらで画面とにらめっこしてるのは、暇だからじゃないんだぞと言ってもわからないんだから、あきらめましたよ。結果が出るまで我慢だ。

孤独な戦いの末の良結果。本人はもう別にほめられなくたっていいやぐらいに（でも給料はあげろｗ）思っていたころ、どこかのコンサルティング会社にこっそり見せたんでしょうね、急にいろんな人が「すばらしい」「サイトマップの作り方があれだ、検索エンジンに有利なようになっていて完璧だ」とかほめるようになった。あたりまえでぃ、ばっきゃろーと思ったけど、みんな知識がないだけで悪気がないからうらめないのら。ま、あれだ、ちょっと嬉しかった（←このへんが単純バカ）。

あとカウンセリングってのが、長期留学生専用で、その留学ってのはほとんどが３年間。日本人をはじめ韓国人やドイツ人、スペイン人などのアドバイザーとしての大役をになっていたわけです。ティーンエイジの３年間をアイルランドで過ごす決意をした留学生達は、来た当初は壊れそうなくらい不安一杯の顔でダブリン空港に降り立ち、ひできすので迎えをうける。迎えをみつけると学生達の表情がぱっと明るくなるのがわかるが、時差ぼけでぼーっとしている。

こんなふうに始まった留学生達が、キリスト教個人主義の国で日に日にたくましくなっていく様子を見る仕事は、とってもやりがいがありましたね、正直。この３年間の経験は僕にとってもかけがえのないものとなりましたので、今後の日記にしばしば顔を出すかと思います。

で、僕にとっても生徒にとっても一区切りとなる３年が過ぎたとき、なにか新しいスキルアップの道はないかと漠然とおもったわけですよ。給料も安いし（←そっちが本音なんじゃないのか？）。アイルランド人経営の会社で働くのは初めてでしたが、社長もスタッフも本当にいい人たちで、やめる理由があまりないのですが、このまま温床につかっていてはいかんと無理やり思いましたね（転職合格してからｗ）。

え、新しいしごと？

ネット関連です

それ以上いわんとこぅ。いまトレーニング中です。当然わからないことだらけですが、まーなんとかなるっしょ。

ひできす </description>
		<link>http://hidekis.byteact.com/2009/11/23/296</link>
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	<item>
		<title>南国へふたたび第８話　ひできす、小説の世界へ</title>
		<description>ひできすにとっては懐かしい街、高知と松山。両都市のイメージはその地理的近さとは対照的な性格の違いを感じます。ただねえ、ソレを言うと高知の人に怒られるし、アレを言うと松山の人に怒られそうでめったなことが言えない（困った；）。では高知が太平洋の黒潮にさらされているのに対し、松山は内海の瀬戸内海…と当たり障りのなさそうなコメントにしておきます（←意味不明じゃねえのか？）。

さて松山駅行きのバスを終点まで行かずに松山市駅でおりたのは、ここが市の中心駅だから。JR松山駅はもっとはずれにあるのです。ここでまた路面電車シリーズやってもいいけど、飽きるからやめときましょう。路面電車を運行しているのは伊予鉄道。地元では「いよてつ」と呼ばれています。高知のそれと違うのは、横幅が広いのか、車内がゆったりとしている点くらいかな。


ちがいは車幅くらいと言ったが、さにあらず。松山の路面電車では、なんと蒸気機関車が走るのです。



坊ちゃん列車って知ってます？
『停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと５分許（ばか）り動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった３銭である』（夏目漱石『坊っちゃん』より）
明治２１年に走り始めた坊ちゃん列車は、なんと日本で２番目の私鉄。非電化時代にあったこの蒸気機関車を小説にちなんで坊ちゃん列車と言うが、オール・ディーゼル化のために１９５４年に運行をやめた。復元されたのはつい最近の２００１年。



松山市駅にて。新型路面電車とのコントラストがおもろい。再現された乗務員の制服がまた雰囲気を出しています。



機関車のオリジナルはドイツ･ミュンヘン製。現在走っているのはレプリカで、本物は市内の梅津寺公園に保存されています。



街中を走る坊ちゃん列車。知らないで道歩いてたら「なんじゃー？？？」となります。煙は偽者です。環境に配慮して現在はディーゼルエンジンで動いています。本当にマッチ箱みたいですね。当時貨物車を改造して作ったからこんな形なんだそうです。

さて、ひできすが小学生時代の一部をすごした松山。うん十年ぶりに訪れましたが、長居する時間がありません。午前中に当時通っていた小学校やそのまわりを散歩してきました。脳の引き出しの奥深くにしまいこんですっかり忘れていた景色や事柄もいくつも戻ってきました。２年弱しか住まなかった土地ですが、けっこう思い出が多いところです。当時釣りが好きで、友達とよく行っていた郡中港にも脚を延ばしたかったのですが、時間がないので割愛。夜の列車で九州行きの夜行フェリーが出る八幡浜に向かわなければならないのだから。



向かったのは道後温泉。小説「坊ちゃん」にも登場する愛媛県を代表する観光地。路面電車で終点の道後温泉へ。駅を出るとめのまえに坊っちゃんからくり時計がある。時間が近いらしく、見物人でにぎわう。この時計がどうなるのか…写真撮ったけど、ねたばれのようでイヤだからのせないでおきます。いつか機会があったら行ってみてください。



からくり時計のとなりには足湯。街中に足湯があると「ああ、温泉にきたなあ」という気分になる。



堂々たる構えを見せる道後温泉本館。松山に住んでいるころ一度だけ来たことがあるらしいがなぜかおぼえてない。



神の湯２階という大広間休憩がセットになった切符を購入して入館。内部には坊ちゃん関連の展示もある。



名物のひとつ２階大広間。茶菓子がついており、浴衣で夕方の風を浴びながらくつろぐ。道後温泉本館には時を継げる刻太鼓というのがあって、一番風呂の朝６時をはじめ、正午、夕方にどーんどーんという迫力ある音が響くとガイドに書いてあるが、そのときは時間が合わなかったのか聞けなかった。残念。



道後温泉本館は、映画「千と千尋の神隠し」の「油屋」モデルになった建物としても有名。実は製作元は「大いに参考にした場所」という微妙な表現をしているが、実際に製作スタッフが滞在してスケッチをおこなったのだそうだ。

ひできすおもわず「ここで働かせてくださいっ！」…いや言ってませんから（笑）。



限られた時間で忙しく見所をツアーするのもいいが、この日は１箇所でじっくり雰囲気を味わうことに決め、なつかしい松山城や城山公園なども割愛。夜９時発の普通列車で愛媛県西部の八幡浜へ。１両編成のローカル線で２時間の旅…というと旅情を感じる人もあるかもだけど、外は漆黒の闇。旅情もくそもないわい（じゃあ特急に乗ればいいじゃん）。



八幡浜駅から1kmほど歩いてたどり着いた八幡浜港。別府行きのフェリーターミナルです。しーんとしています。



港のトイレ。なんか叱られてるみたい。きちんとってなによ。ちゃんとってなんなのさ←ひできすは反抗期



闇の中から到着した「おおいた丸」。さあ、さっさと乗り込んで寝んべ～。



船内はとってもきれい。



これが雑魚寝部屋。枕がついていて快適だが、ちと寒かった。毛布は貸してくれるが、取りに行くのめんどいので上着に包まって寝た。



0：２０発のこの船は豊後水道を横切って別府に３：１０には到着してしまうのだが、夜行便のため５：００まで船内休憩ができる。ロビー近くにはおもわず座ってみたくなるマッサージチェア（有料）なんかあったりして、思わず座ってみました（笑）。そして使ってみました（爆）。

別府港に到着。別府港から市街地までは、これがまた結構な距離あるんだ。朝５時にバスはなく、かといってタクシーに乗るほどの距離でも。結局文句言いながら歩き始めるが、何か物寂しい。腹も減ったがコンビニすら見当たらない中、関東でも見慣れた看板が…



ファミレス「ガスト」。人恋しく腹も減ったひできすが歓喜して入店したのは言うまでもない（爆）。

食事の後なかば居眠りしながらも飲み放題のコーヒーでねばって時間をつぶし、空が白み始めたころ店を出る。



べっぷぅー、べっぷぅー。やっとついたよ（疲）。

その９につづく </description>
		<link>http://hidekis.byteact.com/2009/08/05/282</link>
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	<item>
		<title>南国へふたたび第７話　とんびがくるりと…</title>
		<description>継続は力なり、とどこかの偉大な人はいいました。この言葉の力をすごく実感させられる今日この頃です。

某ひできすは受験時代、先生に言われた簡単で単調なとある作業を毎日かかさず続けることの難しさを知らされ、継続することの意味を考えさせられた覚えがあります。

何の話かといいますと、私の父方の数少ない親戚である叔母は同じ意行為を同じ時間に毎日継続することで、こんなことをやってのけてしまったのです。






なーんにもない山の中の村。早朝に叔母はぴーぴーと変な声で空に向かって叫び始める。






すると頭上にはどこからともなくすぅーっと黒い物体が近づく。はいカメラさん、もっと寄ってー。






それはまぎれもない、ぴゅるるるーな「とんび」。

ひできすー、そこでカメラ構えてると警戒しておりてこないよー、と叔母の声。
かろうじて撮る事ができた図が以下の写真。






叔母が置いたえさにダイブする直前です。オニヤンマのように低空をすうーっと飛んできて、突然ダイブします。

いやー、こいつはなんともエキサイティングな朝でした。とんびの餌付けに成功した叔母。その目前にダイブしてえさをついばむとんびの信頼関係のようなものを見ました。

翌日叔父、叔母、従兄弟、私、祖母とその妹（なんて言えばいいんだっけ？）と私の一行は、さらに山奥にあるええかげん徳島県の県境に近い保養地に向かいます。






直進徳島および別府なんて、へんな標識ですが、これは「べっぷ」にあらず。本当ですってば。






ここは「べっぷ」ではなく、「べふ」と読みます。高知県にある別府です。






高知市内はまだ紅葉には早すぎたが、気温の下がる山の中はすでに紅葉がほどよく美しい。その美しさに祖母が歓喜の声をあげる。その先には恐ろしげなつり橋も見える。






宿で見つけた「イノシシカレー」なるもの。本当にイノシシが入っているのだろうか。イノシシもまさか自分がカレーになろうとは…






おおお、むかし懐かしい「ピンクの電話」があるぞ。
そういえば思い出した。そのむかし「ピンク電話」じゃなんだかエッチな響きがあると思ったひできすはこれを日本語にローカライズ。その名も
桃色電話
…
…何か、よけいやらしい（何が？）






宿はこんな感じで一軒につき二部屋という、贅沢に土地を使った施設。年寄りには距離があるというオチもある。

温泉に入り飯を食べ、男どもはちょっと飲んで寝てしまった。隣の女性陣はわいわいやっている。明日早朝松山へ旅立つひできすは、挨拶代わりに隣を訪ねる。これでもグループ最年少のひできすは、ばあ様たちの良い話のネタにされ、深夜まで付き合わされたがしょっちゅうあることじゃないからとことん付き合った。

翌朝バスで松山へ。高知ー松山は、険しい四国山地をこえるので鉄道だと遠回り。その昔４時間弱かけて石鎚山ルートを国鉄バスで往復したものだが、いまは高速道路ができて２時間ちょっととなった。






松山行きのJRバス。女性の運転手さん。






山を突っ切る新道。






松山市駅、いよてつ高島屋前。ひできすがすんでいたころは「いよ鉄そごう」だった。

なんか屋上の観覧車が気になりますが、行かなかったので次回の日記で答えが出るとかじゃ別にありませんから。

つづく </description>
		<link>http://hidekis.byteact.com/2009/06/01/277</link>
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	<item>
		<title>南国へふたたび第６話　ありふれた非日常</title>
		<description>アイルランドは先週から夏時間となり日本との時差は8時間になりました。夕方仕事が終わっても外がとても明るく、いっそう日が長くなったと感じます。これでもう少し暖かかったらいいのにねー。

更新は相変わらずトロいですが、まったりとお付き合いくださいませ。そういえば久しぶりに自分のページ見たらUniClock（このページの右サイドバーにあるガジェット）のダンスが新しくなっていたのに驚いた（爆）。

さて、高知の歴史探訪は第5話でおわりにし、今日は高知のカラフルな路面電車の紹介。






まずはおなじみ（かどうか）トデン（土佐電鉄）オリジナルカラーの電車（都電ではなくて土電なんだな、これが）。一方がごめん（＝後免）と謝罪すると、






もう一方が「いーの」（いの＝伊野）と許す。高知市内ではおなじみの風景です。ひらがなで書いてあるデカ文字がかわいいですが、はっきりいって意味不明です（爆）。






そしてこちらが特別塗装の水色電車。






こちらはよくわからないが人権保護を最優先とする電車「まもる君」。守ってくれそうです。






土佐電鉄は海外からもたくさん路面電車を輸入して走らせています。これは確かポルトガルだかハンガリーだかの輸入。






車を運転してるとたまにこの黒猫親子が後ろから猛烈に追いかけてきたりしますので、ご注意ください。






車内はこのようにとってもレトロ。後述する松山のものより車幅が狭いのでさらにレトロ感が漂っており、人との距離も近い。






運転手の隣に座っている感覚です。






道の狭い高知では、いろいろと難易度の高い交差路がそこかしこに存在しています。今降車したばかりの高校生はしかし、慣れた感じで電車の前を横切っていきます。






今日乗ったのは高知市内「はりまやばし」から終点「後免町」。高知市内をでると後免までのほとんどの道がこんなかんじで狭く、電車が来るとこの車線の車は徐行運転を余儀なくされます（線路と路肩が一体化している）。ちなみに写真は後日高知に車で向かう際に撮影。






だけどさ、いくら狭いと言ってもこれはないんじゃないだろうか。画面前方の路上緑のゾーンがなんと路面電車の駅（停留所）。電車が止まっているときは、車は反対車線にはみ出して「避けて行け」というわけですよ。見ていると人も車も慣れたもんですが、土地の人じゃない場合は人も車もびっくりするでしょうね。

おやじが「高知は運転免許試験の難易度が高い県だ」といっていたのもこれを見ればうなずける。いまだにこんな風になっているということは、これまでたいした事故もないからなのでしょうか。とにかく見ていて危なっかしくって。

さて叔父の住むド田舎は、路面電車を降りてさらに西へ車で向かう徳島県境に近い山の中。途中の何もない村に突然現れるのは…






そう、アンパンマンミュージアム。

「やなせたかし記念館」のある村として一躍有名になりましたが、アンパンマンの像がなんだか寂しげに見えるのは私だけでしょうか。先を急ぐひできす、中には入っていません。入ればそれなりに面白いと思いますよ。興味のある方はこちら。

さて次回、高知を去り松山に向かう予定ですが、そのまえに面白いものを見たので報告します。

第７話につづく。 </description>
		<link>http://hidekis.byteact.com/2009/04/06/268</link>
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